天と地とテノチティトラン2

私はロボットではありません

美しさの正体

 

について考えてたら7時間くらい経ってて何もしてないのに今日の仕事が終わった

 

 

せっかくだしここに考えたことを書こうと思ったけど夕日を見たら全て忘れてしまった

 

 

でもまだ夕日が綺麗でよかった

 

 

冬になると夕日も忘れるからな

 

私たちの望むものは

私たちの望むものは



 

AM4:35の絶望

ちょっとこれマジであかんって

 

 

こんなんしてたら身体か精神病むわ

 

 

両方もありえる

 

 

生来どちらも虚弱やのに

 

 

明日からは情け容赦無しで生活に注力する

 

 

 

 

 

 

 

 

ってかもう今日やないか!!クソが!!!

 

 

 

AM4:35の独白(あるいは俺が生活と呼ぶものの記録)

眠れない。

 

いや、正確に言えば寝てしまった。

寝落ちで5時間ほど。月曜日から寝落ち。キツすぎる。

 

AM3:00頃にソファで目覚め、絶望的な気持ちだがこのまま寝るしかないと思いベッドへと移動したものの、全く眠れない。そらそうか。1時間半ほど粘ったところで、俺は諦めて起きることにした。その1時間半の間に考えたことを備忘録として書き記し、朝を待つことにしたい。風呂にでも浸かりながら。

 

・・・・・・

 

まず、何故このような事態が起きるのか。ソファは人が5時間も寝られるようにできていないはず。いや、そのように出来ているソファもあるのかもしれないが、少なくとも我が家のものはそうではない。まあ単純に疲れのオーバーフローであることは間違いない。疲れがソファでの5時間睡眠を引き起こし、その結果新たな疲れを生む。地獄のマッチポンプだ。

 

どうだろう。俺の体力が無いだけなのか?人様の生活の些細を俺は知らない。というかまずは俺の生活をしっかりと見つめた方がよさそうだ。どんな生活をしてるんだ俺は。典型的(ティピコゥ)な平日の1日を振り返ってみるか。

 

・・・・・・・

 

朝は7:00に起床。妻は6:30起床なので、6:00頃から枕元のタイマーは鳴り響いている。同居し始めた頃は俺もその音で起きてしまったが、環境への順応とは恐ろしいもので、今では全く聞こえない。自分の設定した6:50のタイマーだけが聞こえるようになった。同じ音なのに不思議な話である。

 

起きてまず煙草を吸い、朝ごはん(大体焼いた食パン)を食べてまた煙草を吸う。7:30、妻が出勤。俺も朝の支度をし、8:00頃に家を出る。駅前で煙草を吸ってから8:17または8:27の電車に乗る。煙草しか吸ってないな。

 

9:20頃、会社に到着。そこからは特筆すべきこともないのでカット。17:30終業。なんだかんだして17:50頃退勤。早ければ17:40頃退勤。18:00頃、途中の駅で乗り換えの際に約10時間ぶりの煙草を吸う。煙草中心の生活。

 

19:00頃、最寄りの駅に到着。煙草を吸う。19:15頃、家に到着。食材等がない場合はこのタイミングでスーパーに寄ってから帰る。

 

家に着いた後の行動は2パターンある。まず妻が先に帰っており、ありがたくも夕飯の支度をしてくれているパターン。この場合は洗濯や掃除、皿洗いなどの雑務系を俺が担当する。20:00頃には夕食をとり、そこから寝るまでが自由時間となる。理想の展開。妻の飯は美味いし。生活環境が整う。最近はランニングなんかも行ったりして、24:00頃には就寝。生活と言える。

 

さて、もう一つのパターン。これは今日(昨日か)に該当する。俺の方が帰りが早いか、妻が帰っているものの激務にやられてぶっ倒れているパターン。体感ではこの半年くらい7割がこのパターンだ。

 

家に着いたその刹那、米を炊く。タイムアタックの開始である。スーツを脱ぎ捨て、部屋着に着替える。同時に献立の確定。検討は仕事中にしているからある程度の候補まで絞られている。鍋に水360mlを沸騰させ、和風だしの素を入れる。味噌汁は基本作る。その間に前日洗いきれなかった食器や調理器具のうち、取り急ぎ使用するものを洗う。そしたら味噌汁に入れる具材を切り、鍋に投入。同時にメイン料理の具材も切れたらなおよし。味噌汁の具合を見つつ、メインを作る。最近は「うちのごはん」的な調味料がセットになっているものを使用しがちだ。手抜きだな。(と言いつつ、これを他人に手抜きと言われると激昂すると思う。ほなお前が作ってくれよ、と。)

 

20:00頃、妻帰宅。大体この時間に夕食も出来上がっていれば理想。一人暮らしの頃よりは料理スキルも上がったので、一汁一菜なら1時間を切ることもできるようになってきた。ただ味はやはり妻の方が美味い。

 

残っていた洗い物や弁当箱を洗い、明日の弁当を詰めておく。20:30頃、夕食。この時間ならまだ良し。21:00過ぎから寝るまでは自由時間となる。前者のパターンより少し窮屈かもしれないが、充分生活と言える。

 

だが、ここまでは成功例の提示でしかない。真の生活(と俺が呼ぶもの)には、トラブルがつきものである。何事もない日など体感では2日にいっぺんである。現に、今日も妻の体調が芳しくなく、夕食を6割ほど食べたところで寝室へ引き上げていった。残された俺は、すでに満腹の胃に妻の残り4割を詰め込み、眠気への保険としてコーヒーを一杯飲んだ。さて、1人にはなってしまったが、今日の自由時間を始めるか・・・。

 

・・・・・

 

そして時刻はAM3:00。保険などに意味はないと思い知らされる結末だ。風呂にも入らず歯を磨いて寝ようとするも失敗。今に至る。

 

これは生活と呼んで良いのだろうか。共働きの家庭が多い現代の日本では、ある意味リアルな生活であるかもしれない。だとしたら生活以外にバッファが無さすぎるだろ。綱渡りにも程がある。悩みは人それぞれか。

 

上見るな下見ろ理論ではないが、お互いに遠方への転勤がないというのは救いかもしれない。東京へ行く彼と彼の妻のことを思うと胸が張り裂ける。人って何のために生きるんでしょうね。もしその理由が愛だとしたら、いや、愛があるからこそ、辛い選択になる事もあるのかもな。頼むからせめて幸せな結末を。

 

事情は本当に人それぞれだ。「俺ならそんな会社辞める」というのは残酷なほどの本音だった。そりゃ、妻が自分より稼いでいて、自分は転職に抵抗がないんだからそう言えるよな。愛は似ているようで様々。他人の人生に同じ物差しは通用しない。俺は浅はかな発言を悔やんでいる。よくある事だ。無いようにしたいな。

 

結婚って何だろうな。俺は少なくとも、個人の結びつきの事だと思いたい。世間は違うだろうけど。子供を産むためのケジメだという考え方もある。子供か。こんな地獄みたいな世界に生まれて来させるのは忍びなさすぎるよ。年齢とともに悩みも変わる。考え方も。嫌だねえ。

 

というか、俺が1人以上の人間を愛せる自信がないんだよな。それが血を分けた子であっても。どちらか一人しか助からない、みたいな状況になった場合、迷わず妻を選ぶような気がする。親になれるとは思えない。

 

まあ別の見方をすると、浮気の心配は無いので安心して欲しいな。って言っても自分の感覚なんて人には100%の純度では伝わらないし、そもそもここに書いても意味ないぞ。一生かけて証明するしかないか。

 

・・・・・・・・

 

話がいつにも増して飛び飛びになってきている。なんか世の中に対する俺の愚痴の総集編みたくなってきたからここらで止めておかねば。

 

もう朝が近い。鳥の声がする。

妻が起きる時間だ。こんな暗い時間に起きてるんだな、毎日。心から尊敬している。

 

身体はダルいが心はスッキリした気がする。

やっぱり溜まっていたのかもな。知らないうちに。とりあえずここに吐き出しとこう。見る人には申し訳ないが。後で恥ずかしくなったら消そう。

 

というか、アレだ。一つ明記しておくべき事があったわ。

 

はてなブログ公式さん、この記事を見つけても拡散せずどうかそっとしておいてください」

 

まあ前例があるので念のため、な。

 

 

おはようございます。

今日も元気に頑張りましょう

 

 

生活(もどき)は続く。

 

2023.1.31 AM6:24

 





わたしのことがわからなくなったとしても

人の話を聞くのは、並大抵のことではない。

 

それは人生を分けてもらう行為だから。

 

そして俺は新たな責任を負うこととなる。

 

何故そうするのだ?

 

俺は俺の人生で手一杯ではないか。

 

同情?

 

そんなもので、容易く見ず知らずの人生を請け負うものではない。

 

仕事だから?

 

いやいや、俺の仕事にそのような業務はない。完全に蛇足。無駄な労力。

 

「もし、私のことが分からなくなっていたとしても、それでも共に過ごしたい。あと少しの時間しか残されていないかもしれない。でも、それが私の人生で唯一の望みだから。」

 

名前しか知らない人はそう言った。

 

俺は相槌を打つことしかできない。

 

俺の中に、見ず知らずの人生が注ぎ込まれて行くのをじっと見つめていた。

 

予兆?

 

そのような非科学的思想に立ち寄ったが、どうやらそうでは無いようだった。

 

予感?

 

近しいものはある。数十年後に我が身に訪れるであろう美しき悲劇。

 

俺は澱みなく流れ込むその人の人生を検分しながら、自らの結末を想像していた。

 

「希望を捨ててはいけないよ」

 

絞り出すような弱々しい声と裏腹に、その言葉は力強く俺の心に響いた。

 

「楽しいことが人を生かすから」

 

 

 

 

気づけば、昼下がりの緩やかな速さを保っていたはずの時計の針は、既に夕方に差し掛かろうとしている。

 

俺はぐったりと疲れ、何も手につかなくなってしまっていた。

 

異なる人生は、俺の中で消化されるのを静かに待っている。

 

時より気泡のように弾けては脳を刺激し、様々な感情を生む。

 

 

俺は祈ることしかできない。

 

 

あなたのたった一つの望みが叶いますように。

 

できれば、あなたのことをわかってくれますように。

 

(2021/4/23の下書きより掘り起こし)

 

人生が二度あれば

人生が二度あれば

うわあやっぱり曲山程作らないと生きてる意味ないわ!

 

だって俺が死んだ後に友達が居酒屋とかに集まって「あいつのあの歌良かったよなぁ」っていう振り返りが5曲くらいで終わったらおもんないやろ

 

 

 

 

少なく見積もって1000曲くらい語らせたるわ

 

 

 

俺より長く生きれるものならな

 

 

 

生きたい

生きたい