天と地とテノチティトラン2

私はロボットではありません

ビン屋襲撃

そこにはビンしか無かった。そう言い切ってしまいたいほど、清々しいほどそこにはビンしか無かった。いや、実を言うとビン以外にも物があることはあるのだが、その場所は限りなくビンを人々に見せるためだけに存在していた。私はそこをビン屋、と心の中で名付けた。

 

 


私が働いている学習塾の隣に突如として現れたそれは、片側一車線、合計二車線という小さくは無いが大きくも無い道路を前にして、昼間はどこにでもある空きテナントとして息を潜めていたのだが、夜になるとライトアップされ、ささやかな展示場となっていた。ガラス張りの室内に見えるアンティーク調の緑に塗られた小机も、壁に貼られた「風と共に去りぬ」の古い予告ポスターも、果てには「テナント募集中」の看板でさえよくよく見れば趣きを持つ気がしてくるのだが、スポットライトはただ小机の上の少し大きめのビンを照らしつづけていた。もちろん比喩ではなく、である。

 

 

 


そのビンにも確かに趣きを認めることは出来た。決して日常生活では見かけることの無いようなビンだからである。品揃え豊かなスーパーマーケットの棚にも、洒落た居酒屋のカウンターにも、この辺りのどんな家庭にも見付けることの出来る気配を持たない、特種な雰囲気を持つビン。敢えて例えるならば、シチリアの路傍の木箱か何かに、経年のくすみを以って捨て置かれていたものを綺麗に磨き上げて空輸し、関西国際空港からワレモノ注意の段ボールに包まれてここまで辿り着いたのではないかと想像させるほどにそのビンは異質で、街に溶け込めずに居るようにさえ見えた。しかし、それにしても「何故?」が多すぎた。誰が、何の為に?そこには世間大抵のことで説明されているべき事が抜け落ちていた。

 

 

 


本当は深い意味など微塵も無く、ただそこに偶然ビンと、机と、ポスターが有って、たまたま居合わせた者の美的センスとやらが、はたまた悪戯心がくすぐられた結果の産物なのかもしれない。冷静になればいくら私の好奇的な頭でも現実味のある回答をいくつか並べることは出来た。しかしながら、99%の平凡で出来たこの街に1%の奇妙をもたらさんとする非日常の薫りに、いつしか私は学習塾での講義を終えた後、その場所を一通り眺めてから帰路につくことを習慣とするようになっていた。
 

 

(2014年7月3日 mixiより)

(追記省略)

 

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